はい、でぃめです!
絶賛休職中の私ですが、
暇であるばかりに最近思ったことがあります。
それは、
大人同士の馴れ合いは気持ち悪い!
という話です。
「家族だから」とか「友達だから」とかの過去の形式に縛られて”仲良しごっこ”してる人多すぎな気がする。
そもそも大人になって環境違えば、生き様や性格は家族であろうとも十中八九合わなくなるはずだから、くだらない帰属意識は捨て、大人になっても本当に合う人とだけ絡むべきだと思ってる— でぃめ (@demeblog) October 11, 2021

よくよく考えてみれば、大学生の時からそう思ってたな。
テニサーのキョロ充を特にヘイトしてましたw
こんな発言すると、
人格者の方々に反感くらいそうではありますし、
どっかの自己啓発本みたいに、
「成功者はみんな孤独!」
みたいな発言もするわけではありませんが、
なぜ仲良しごっこが気持ち悪いと思うのかという心のモヤモヤを言語化していきたいと思います。
大人同士の馴れ合いは気持ち悪いという話
なぜ私が気持ち悪いと思うのかというと理由は三つあります。
それぞれ順に詳しく解説していきたいと思います。
①馴れ合っている人は没個性で面白くない
まず一つ目の理由は、
馴れ合っている人は没個性で面白くない
ということです。
集団行動を普段からしている人間というのは、
忖度だけは得意で自分を押し殺して協調性を取ろうとしている人が多いです。
他の人の顔色を伺い、
自分が排他されないために同調圧力にそのまま流れます。
しかし、
コミュニティーで生きるというのを選んでいることを代償に、
その分自分の個性がぶち壊れちゃってるんですよね。
そのほとんどが、
月曜から金曜定時まで真面目に社畜して休日に独身男とキャンプや釣りでストレス発散している、
量産型没個性サラリーマンか、
休日に銀座でケーキ食べて女子会開いちゃう、
量産型なんちゃって港区女子。
そんな量産型の雑魚とお話ししても私は面白いと思いません。
②向上心がなく現状維持の人が多い
2つ目の理由としては、
向上心がなく現状維持の人が多い
ということです。
没個性の人は集団に所属している事実だけかっさらうと何も残らない量産型雑魚なのですが、
なぜか量産型雑魚のまま現状に満足しており、
向上心のないつまらない人間が多いように感じます。
おそらく集団に属することで、
自分の存在を認知され孤独は解消され多少の満足感はあるのでしょうが、
その満足は個性から生み出された満足ではなく集団心理から生み出された満足なので、
本質ではなく虚像であると思ってます。
虚像の満足で死を迎えると人生後悔しますよ!
③承認欲求が高い人が多い(馴れ合いアピールがしつこい)
3つ目の理由としては、
承認欲求が高い人が多い(馴れ合いアピールがしつこい)
ということです。
皆さんもインスタを開けばわかると思いますが、
馴れ合っている人の仲良しごっこアピールは凄まじいものです。

あれは何なんだろうか。。。
推測の域でしかありませんが、
まず集団で群れている人というのはその自分の集団に対して誇りを持っています。
(その集団が自分のアイデンディディーだからです。)
ですので、他の似たような自分とは違う集団が楽しそうにしているSNSの投稿を見ると、
そこに対して対抗心なるものが生まれ、自分達の”仲良しさ”をアピールしたくなるのでしょうか?
そもそも仲良しごっこ集団は、
忖度大得意人間の集まりで表面上仲良くしているケースが殆どだとは思うので、
そこ(=本当は仲良くないこと)に薄々とは気付きつつも、
仲良しアピールすることによって自分らの集団は大丈夫だと思い込みたいのでしょうか?
まあ何でも良いし興味ないですが、
過度な仲良しごっこアピールは気持ち悪いです。

あと仲良しごっこ投稿は大体内輪ネタなので見ていて寒いです。
馴れ合うのはダメなのか?!
ここまで書くと、馴れ合うのがダメなのか?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
別に馴れ合うことは絶対的悪ではありません。
馴れ合うメリットは、ググってみたら、
- 責任を持たずに済む
- 集団による不安・恐怖解消
- 曖昧性にて誤魔化しが容易
- 仲間がいるという安心感
- 集団維持によるバックアップと自信擬装
- 承認欲求を互いに満たし合う不満足の解消
- 執着と甘えの正当化がしやすい
- 結束を強める統一意識
- 集団の独自世界に身を漬けて変化せずに済む
とありますが、
これをメリットと感じる人にとっては善なのです。
(※ほとんどの人は善になるでしょう。)
私の場合、上記に対して然程メリットを感じなく、
メリットを感じるやつは没個性の馬鹿だと思うので悪なわけなのです。
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